AIの利活用に注目が集まる中、一方でAIに対して不信感を抱く声も少なくありません。人工知能は確かに優秀なプログラムですが、いつか人間のそれを超えてしまうとも危惧されています。いわゆるシンギュラリティという現象ですが、果たしてこれはどのような結果をもたらすのでしょうか。
シンギュラリティ(技術的特異点)とは
シンギュラリティは技術的特異点と日本語では訳され、AIが人間の能力を超える瞬間を指しています。
AIが人間を超える瞬間
これまで、人間が作り出した人工物は、人間よりも高いパフォーマンスをはじき出すことはあっても、人間を超える知能を持つことはありませんでした。
ベルトコンベアの流れ作業で活躍するロボットは、人間の百倍の速度で自動車を組み立てることはできても、人間より賢い存在ではなかったのです。
しかし、人工知能は自らものを考え、人間と同じか、それ以上に優れた答えを導き出すことができます。
チェスや囲碁でAIが人間よりも強くなっていることからもわかるように、潜在的な思考力は、もはやAIの方が上、と考えられる事例も増えてきています。
強いAIと弱いAI
ここで、強いAIと弱いAIの違いについても触れておきましょう。
実は、AIには二種類のタイプが存在しています。強いAIと呼ばれるのは、いわゆる万能型のAIです。
SF映画でも出てくるように、強いAIは人間と同じように様々な事柄について考え、何においても優れたパフォーマンスを発揮します。
一方の弱いAIは、特定のタスクに特化した性能を発揮するAIです。自動運転技術や、先ほど例に挙げた囲碁のAIなどは、これに当たります。
シンギュラリティが懸念されているのは、前者の強いAIについてです。
強いAIは複雑な思考が必要なため、開発コストは非常に大きいと言われていますが、それでも着実な進歩が見られます。
このままいくと、いずれは人間を超える知能を抱くようになるだろうというのが、シンギュラリティへの懸念です。
「収穫加速の法則」で近づくシンギュラリティ
シンギュラリティが近づいていると言われるのは、収穫加速の法則が働いているから、という声も聞かれます。
収穫加速の法則とは
収穫加速の法則(The Law of Accelerating Returns)とは、ひとつの重要な発明によって次の発明までの期間を劇的に短縮するという法則のことです。技術の発展に伴い、発展のスピードも徐々に加速していっているということを指すものです。
例えば、人類の誕生は約500万年前と言われていますが、火を使うようになったのは50万年前とされています。
つまり、人類誕生から450万年の間、ヒトは火を使わずに生活をしていたということです。
しかし人が徐々に技術を発展させていくことを覚えたことによって、その進化のスピードは飛躍的に向上しています。
特に電気誕生以降の発展は目覚ましく、コンピューターの登場によって、その速度は歴史上にないスピードに達していると言われています。
そのため、シンギュラリティの日は着実に迫り、近い将来実際に起こりうると考えられているのです。
シンギュラリティを疑問視する声も
ただ、こうしたシンギュラリティの必然的発生論に、異を唱える人もいます。
その根拠となるのが、21世紀以降の人々の生活の動向についてです。
確かに21世紀に入って生活は便利になり、通信環境やPCの性能は飛躍的に向上しています。
しかし、私たちの生活が技術によって革命的に変わったかといえば、決してそうとは言い切れないでしょう。
火しかなかった時代に電気が現れたような革命は、ここ数十年起こっていないのです。
そのため、シンギュラリティの到達を支えるとされる収穫加速の法則は元から存在せず、むしろ技術は停滞期を迎えている、という話もあります。
何を信じるかは私たち次第ですが、いつその時がやってくるかは、誰にも予想がつかないのが現状です。
シンギュラリティの発生で起こりうる事態
そんな伝説的なシンギュラリティですが、実際に到来した場合、どのような事態が私たちを待ち受けているのでしょうか。
抜本的な「働き方革命」
結論から言うと、シンギュラリティ到来の有無にかかわらず、これからおとずれるのは抜本的な「働き方革命」であると言えます。
すでに現代でもAIの導入は盛んにあらゆる業種で進んでおり、人の活躍の場所はシフトしつつあります。
多くの業務はAIやロボットに取って代わり、人間はより高次の頭脳労働、あるいはクリエイティブが発揮される職業に居場所を見出すことになると考えられます。
シンギュラリティで変わる人の価値
AIが人の頭脳を超えるほど知的な存在になることで、人間はAIに居場所を奪われるのでは、危惧する人もいます。
しかし、実際にはもうすこしマイルドな形でAIとヒトは共存することになるでしょう。
なぜなら、どれだけAIは優秀になっても人の価値は変わらないためです。
例えばAIが描いた絵画と、ピカソが描いた絵画では、後者の方が大きな価値を持つと予想できます。
これは極端な例ですが、誰であれ人が作ったものの価値をAIが代替することはできません。
仮にシンギュラリティの到来によって、AIが世の中の大半の仕事を担えるようになったとします。
その場合、人にしかできない仕事の価値は変わらないばかりか、むしろ高まっていくことも考えられるでしょう。
おわりに
シンギュラリティの到来はいつになるのか、そもそもそれが本当に実現するのかはわかりません。
しかし特定の分野においてAIが人のパフォーマンスを超える自体はすでに起こっており、多くの仕事がAIにとって変わりつつあります。
価値ある仕事とは何かということを、AI時代の到来とともに再び考えてみる必要があるでしょう。